働くママのウェブマガジン

Mama子育てママを元気にするコラム&トピックス

藤田あみいの「懺悔日記」・40もう終わらせたかった。なにもかもを終わらせて、消えたかった【懺悔日記・40】

2017.06.20

妊娠出産を経て、深刻な産後うつに。
三年の月日をかけてようやく母親になった、わたしの懺悔の日記。

この連載は……

出産後、ある時期から深刻な産後うつ状態になったイラストレーター・藤田あみいさんが、娘のてーたんを育てながら3年間にわたる気持ちの揺れを克明に綴った日々の記録「懺悔日記」。その内容を、少しずつ公開していきます。


第40回 新しい病院

40

2016年7月4日 

真面目に働いていた職場にも行けなくなってしまった。

どうしても体が起き上がらない。朝から晩まで娘の心配で頭がいっぱいで泣いてばかりいた。

最近、娘は耳を塞ぐようになった。主に大きな音がした時、突然音がした時など、ごく普通のことだとは思うのだが、これは発達障害の子に併発する事の多い聴覚過敏なのでは?と思いはじめていた。

一度気になってしまうと、娘の前で大きな音を出さないように気をつけたり、大きな音のする場所に連れて行かないようにしたり、それは必死に対処した。

娘に不快な思いをさせない気持ち、というよりも、耳を塞いでる仕草を見た自分がパニック状態に陥る事を恐れてのことだった。

極力家の中でも生活音は出さないようにし、テレビもとても小さい音量にした。

食器洗いも、細心の注意を払って、静かに済ませた。

毎日「聴覚過敏」の内容でインターネットで検索をしていた。発達障害の子はどういう音がだめなのか、そればかりずっと調べていて、これは大丈夫、これは当てはまる、と答え合わせばかりをしていた。(この時点でも発達障害というものを理解してはおらず、文字面だけをみて当てはめていました。)

逆さバイバイ、水への執着、そんなものとは違って音というものは生活にあまりに密着しすぎていて、生きていることそのものがものすごい苦痛になった。

保育園の先生にも園ではどうですか、と聞いてみたが、そんな様子はないですね〜だったり、たまにやってますけど、普通にうるさい時ですよ?だったり。

何度朝を迎えても、不安の波は静まることを知らなかった。

2016年8月10日 

病院を変わらざるを得ないということで、母の心理状態と子の発達、両方を見てもらえる病院を探しに探し、ようやく隣町に該当する場所を見つけることができた。

今回もまた女医の先生であるし、とても期待して門を叩いた。

病状を簡単にまとめた紙を持参しつつ、先生に今までの病状を話したところ、
「なんでそんな考えになっちゃうんですかね?」
と言われてしまった。

なんでそんな考えになっちゃうのかを今までずっと悩んでいて、そこを診てくれるのが病院だと思ってここにきたのだが、期待していた分、落胆もすごかった。

もう私を救ってくれる病院はどこにもないんだ、と絶望した。

希望の道標をなくした私は、家に帰って、娘を脇目に見ながらワインをひと瓶開けた。

そして、もらった薬を20錠まとめて飲んだ。

瞬間、猛烈な吐き気がし、トイレで噴射するように吐き出した。

白い壁がワインで暗い赤色に染まり、私は床でうずくまるように倒れた。

「まま、まま」と私を探しに来た娘が、トイレで横たわり、真っ赤なワインが服に付着した母の様子をみて、猛烈に取り乱した。

死ぬ気は無かった。でももう終わらせたかった。なにもかもを終わらせて、消えたかった。

いままで十分に悩んだ。かなり長い期間、幸せを感じることがなかった。人生は絶望の連続で、こうして横たわる私は、もう何で悩んでいるのかもわからない。

娘に発達障害があろうがなかろうが、私は娘を愛しているのだ。でも、波のように押し寄せる焦燥感、不安感、動悸、手の痺れるような感覚、これが毎日。毎時間。毎秒。

考えたくない、不安なことなんて考えたくないのに、どうして姿のない不安は何度も私の胸を締め付けるのだろうか。

何度か夫から電話がかかってきていたようで、気づくと2歳8ヶ月の娘は夫の電話に出ていた。大きく取り乱し、泣きながら
「ママが心配なの たすけて」
と言っていた。

様子がおかしいと思った夫は、電車の中から救急車を呼んだようだった。娘の泣き声の隙間からサイレンの音が近づいてくる。ドアから入ってきたのは警察官と救急隊員だった。

私の家は一気に殺人事件現場のような雰囲気になり、私は担架に乗せられた。そして救急車に運び込まれ、その後ろから警察官に手を引かれた娘も乗りこんだ。

娘は付き添いの警察官の方と救急車の中に座り、一生懸命お話をしていた。大騒ぎになってしまい本当に心から申し訳なかった。

ほぼ全てを吐き出してはいたものの、近くの病院に運び込まれ、胃洗浄というのをやった。

急いで病院に駆けつけた夫にむかって処置をしてくれた担当医は「まあ自業自得です。こんな馬鹿なことは二度とさせないでください」と言った。その時、夫は「あなたに何がわかるんですか!」と激昂した。

処置が終わり、帰れることになった。夫と娘と私、三人で夫の乗ってきた車に乗りこみ、帰路についた。

家に戻ると近所はそこそこ騒然となっていたが、お酒飲みすぎたぁ、とごまかした。近所の人にも本当に申し訳なかった。そしてすごく恥ずかしかった。

夫は帰路の間、ずっとカラカラと笑いながら他愛もない話をして、私のしたことを一切咎めなかった。

(次号に続く)

これまでの連載
第1回「私は生命を生み出してしまったのだと。ことの重大さに気づいた」
第26回「寒い寒い氷の町の丘の上にてーたんの保育園はあった」
第27回「昔は一人でいるのが大好きだったのに、今はとても不安でやりきれない」
第28回「育児ノイローゼというやつなのか? 本当に屈辱的で誰にも話したくない」
第29回「治療が必要なのは娘ではなく、100%お母さんの方だということになった」
第30回「私はこんなにめちゃくちゃな人間なのです、と泣けたらどんなに楽だろうか」
第31回「破壊へと道を進めているのは私そのもの。私だけが狂っている」
第32回「恐れていた一歳半検診。ついにこの日が来た」
第33回「わたしが暗闇の中を彷徨ってる間に、この子はこんなに喋れるようになった」
第34回「ああ嬉しい。もうちょっとで普通のお母さんになれる」
第35回「胸の奥から再びモヤモヤした黒いものが湧き上がってくる」
第36回「娘に「ママいなくなってもいい?」と聞いてしまった」
第37回「頭の中は娘に関する心配事ばかり。身も心も憔悴しきってしまった」
第38回「体重が激減した。ご飯が喉を通らないのだ」
第39回「悩んでいたことが口からこぼれ、初めて会った人の前で泣いていた」

「懺悔日記」連載一覧

藤田あみい

イラストレーター・デザイナー・エッセイスト。
「無印良品の家」のウェブサイトで「ぜんぶ無印良品で暮らしています~三鷹の家大使の住まいレポート~」を執筆中。
2016年に同タイトルの本を出版。現在韓国語・台湾語に訳され、幅広い層の人へ向けて発信を行っている。
趣味はショッピング。夫と娘が生き甲斐。

「懺悔日記」読者へのメッセージ

妊娠・出産を得て、わたしは強迫性障害という病気になってしまいました。
強迫性障害を簡単に言うと「潔癖性」というようなものがわかりやすいと思います。
私の場合は潔癖ではなく、「『娘に障害があるのでは』という強迫観念が浮かんでくる。」というのが症状です。
愛する子どもを育てていて、一瞬でも「この子に何かあったら」と不安を感じる人は少なくないと思います。
このブログはそんな気持ちのドツボにはまってしまった私の懺悔の日記です。
「ありのままを受け入れる」そこに至ることが難しい人に向けて、少しでも気が軽くなればいいなと思い書き連ねています。
藤田あみい