連載:ボビーのよかよか子育て日記 きょうだいの間の「Fair」とは
子どもの口から「だったら私も!」って、週何回聞くだろう?(笑)
幼児の頃から、しつけの一つとして「順番を守る」「半分こする」など、子どもに公平な行動をするようにたくさん促すよね。
我が家は双子の娘だから、平等にしないといけない意識はさらに高いかも。一人が何かをもらった場合は、もう一人が必ず欲しいって言う。
今までは運が良く、娘それぞれの好みが違うけん、服やおもちゃに関しては、必ず全く同じものじゃなくてもよかった。
例えば犬のぬいぐるみと猫のぬいぐるみがあれば、自然とそれぞれ欲しい物が分かれるから、喧嘩にならない。でもぬいぐるみが一つしかない場合は必ず 「順番に使わないとフェアじゃない!」と娘が言う。
写真で作っているケーキも、しっかりと同じ量の苺が乗っているピースじゃないとだめだった(笑)。
ま、おもちゃや服、食べ物などは一人だけにあげることはほとんどないから、そこで揉めることはあまりないけど。娘一人がかなり観察力が良くて、道に落ちた小銭やピアス、小物や綺麗な石をよく拾う。
その時にもう一人が「なんで私の分もないの?」となる。
兄弟はそうなるのが当たり前だなと思いながらも、最近気になっているのが、自分自身も小さい頃から正義感が強すぎて、それで苦労する時もあること。
子どもに公平や平等を教えようとしても、世の中は平等ではないということは事実だよね。
自分が10代の頃や20代の頃……、いや今でもどこかで何かが不平等と感じた時はそれを訴えたくなる。そしてみんなに認めてもらいたくなる傾向がある。
ただ、自分の考え方がいくら正しいと自分で思っても、みんなも必ずその考え方に賛成することはないし、人にとっての正義や正しさは異なるので、他人がどうしても自分の考え方を理解してくれない時は、とてもても辛く感じる。
その同じ辛さは娘も感じているんじゃなかなと思う時はある。
幼稚園でお友達と揉めた時に、娘が「さっき私がそっちの言うこと聞いたから、今度はそっちがこっちの言うことを聞いて!」とか「そうなったから、今はこうなるはずでしょう?」のような口喧嘩になったりする。
相手がどうしても聞いてくれない、わかってくれない時に娘がとても納得いかなみたい。
その気持ちがよくわかる……。
でも、大きくなってもその現象は変わらないからこそ、最近、少しづつ「平等じゃない時もある」って教えようとしている。
他人ができたからといって、私もできるということはないかも。
他人がもらったからといって、私ももらえることもない。
兄弟の間でも、一人にはラッキーなことがあった時は、残念だけど人はそれぞれですし、みんな違うし、違う人には違うことが起こるってわかるようになってくるといいな。
そこで思い出したけど、自分が”It’s not fair!”って言い張った時に、アメリカの親によく言われたことがありました。
“The only time you should ever look in someone else’s bowl is to see if they have enough.”
「他人のお碗を覗いていいのは、ご飯がちゃんと足りているのかな? と思う時のみ」
「他人が自分よりも持っている! ずるい!」と思わないで、「他人が自分より少ない。大丈夫かな?」とその人の事を思いやってみよう、という意味になる。
これはとてもいい考え方だと思う。世の中は平等じゃないかもしれないけど、それを意識する方法としては、不平等を少しでもなくすために、私たちにはできることがあるのかなって考えること。
どう思う?
そいぎ、See you next time….