
連載:保育園義務教育化 保育園義務教育化10 保育園に通った子どもは、人生で「成功」する?【古市憲寿/保育園義務教育化・10】
社会学者・古市憲寿さんの著書『保育園義務教育化』の内容をご紹介していく連載。
前回は、読者からの感想をご紹介しました。今週から2章に入ります。これまでは主に、日本の「お母さん」をめぐる状況についてでしたが、2章では、6歳までの子どもを保育園に預けることの是非を考えます。まずは、6歳までの教育がいかに大切か、ということについて。
第2章 人生の成功は6歳までにかかっている

保育園は子どもにとっていいのか悪いのか?かつては「三歳児神話」なんてものもあったが、実は乳幼児教育の重要性は、教育経済学的にはもう決着がついている。
アメリカで実施された有名な実験によれば、良質な保育園へ通うことができた子どもたちは、その後の人生で「成功」する確率が高くなることがわかった。また、保育園へ通った子どもたちは、学歴と収入が高くなった一方で、犯罪率は低かった。
保育園は単純に子どもたちの「学力」を上げたわけではない。「非認知能力」といって、子どもたちの「生きる力」を上げたのだ。最近の研究では、「学力」よりも、意欲や自制心といった「非認知能力」が人生の成功に重要なことがわかっている。
だから乳幼児期の教育が重要という意味で「三歳児神話」は正しい。しかし、それは「お母さん」一人に任せていいものではない。実は、「非認知能力」は、人との交流によって育まれるものなのだ。
「哺乳類としての自然な子育て」という珍説
「シュタイナー教育がいい」「外で思いっきり遊ぶのがいい」「一汁一菜で育てるのがいい」「東大に行く子どもは納豆が好き」など、育児書を見ると本当にたくさんの「子育てにいいこと」が列挙されている。
だけど育児書やインターネット上の情報には、実に思い込みと自分の体験談だけで書かれているものが多い。1章で取り上げた「母乳育児」の是非についてもそうだし、「子どもを預けるのは保育園か幼稚園か」というのもよく論争の火種となるテーマだ。
この本が主張する「乳幼児期に子どもを保育園に預ける」というアイディアにも批判の声がある。
長田安司さんは保育園の理事長をしながらも、自著の中で、保育園が普及すれば普及するほど、日本社会はとんでもないことになると主張している。
特に3歳までの子どもを保育園に預けることに長田さんは大反対する。3歳まではお母さんが子どもを育てるべきだというのだ。
その理由というのが、赤ちゃんは「お母さんのお腹の中から生まれるから」。
どう考えても理由になっていない。
長田さんによれば、子どもの自我形成は「お母さんと子どもの一対一」が基本で、それに反すると子どもは将来必ず苦しむことになるという。その根拠というのが「親の支えがなく、自分を信じられない若者で溢れている新宿、渋谷などの街の状況」だという。
「新宿」を若者の街だと思っている感覚がどうにも古いし、どうしてそこにいるのが、「自分を信じられない若者」ばかりだと断言できるのだろうか。
また長田さんは、ニートの増加や新型うつも、みんな保育園のせいだと考えているようだ。若者たちに働く場所がなかったり、彼らが精神的に病んでしまうのは、子どもの頃に適切な愛情を受けていなかったからの一点張りで論を進める。
神戸市須磨区の児童連続殺人事件(酒鬼薔薇聖斗事件)、17歳の少年によるバスジャック事件といった凶悪犯罪も、彼らが「哺乳類としての自然な子育て」を受けてこなかったから起きたものだと推測している。
長田さんが言うように、僕も乳幼児期の育児はめちゃくちゃ大事なことだと考えている。だけど、それは本当に「お母さんと子供の一対一」の関係で育まれなければならないものなのだろうか。
そもそも「哺乳類としての自然な子育て」というなら、動物の世界の育児は、人間の目から見ると非常に残酷なことがわかっている。
チンパンジーなどの霊長類、ライオン、ハンドウイルカなど多くの種では、親が子どもを殺すことが珍しくないのだという。やたら日本人が好きなパンダも、双子を産んでも片方の子どもしか育てないことが知られている。
また長田さんの推測とは違い、酒鬼薔薇聖斗を名乗った「元少年A」の母親は専業主婦だった。特に「元少年A」は長男だったこともあり、子どもの頃は、彼にべったりだったようである。
長田さんの意見がいかに珍説かがわかる。
第一、少年犯罪の責任をすべて「お母さん」になすりつけてしまうのはあまりにも乱暴だ。
「教育」がきちんと研究されてこなかった日本
このように、保育や育児の世界では、トンデモ本が当たり前のように流通している。またデータが古い本も多い。
たとえば、ミネルヴァ書房の『乳児保育』という教科書には、乳幼児保育が子どもの発達に悪い影響を与えないという研究が紹介されている。0歳の時に保育園に入った子どものほうが、1歳半以上で保育園に入った子どもよりも精神発達指数が高いというデータも載っていた。
こういった研究自体は非常に意味があるものだと思う。
だけど、これらの調査が行われたのはそれぞれ1980年と1985年。今から30年以上前のことで、現代とは保育園の様子も社会状況も違う。
いくら信頼できそうな教科書とはいえ(ちなみに「信頼できそう」の僕なりの基準は表紙がださくて値段が高いこと)、ちょっとデータが古すぎる。
もっとも、これらの研究できちんと追跡調査がなされていたら話は別だ。
その時、保育園に入った子どもたちはその後どのような大人になったか。早くから保育園に入った子どもは、そうでない子どもに比べて、学力はどうだったのか。健康状況はどうだったのか。幸せになれているのか。
だけど残念ながら、日本ではそういった研究がほとんど行われてこなかったようだ。
少なくとも保育園で育った人がその後の人生で不幸になっているというデータはないし、そもそも幼稚園よりも保育園の数が圧倒的に多い時代、それほど保育園に害があるとは思えない。だけど信頼できそうな研究が少ない……。
次回は、「日本の教育政策は「おじさんたちの経験」でできている!? 」
連載第1回目から読む方はこちらへ
1985年東京都生まれ。社会学者。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した著書『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)などで注目される。日本学術振興会「育志賞」受賞。著書『保育園義務教育化』(小学館)では、女性が置かれた理不尽な状況を描き、その解決策を示す。共著に『国家がよみがえるとき』(マガジンハウス)などがある。
こちらの連載は、古市憲寿さんのご厚意により、書籍『保育園義務教育化』(小学館)の本文より、約8割ほどの内容を、順次Hanakoママウェブに公開していく、という企画です。毎週月曜日に更新します。古市さんの「この問題をできるだけ多くの人に、自分の問題として意識してもらいたい」という強い思いによって実現したものです。共感したかたはぜひ、家族や友人とシェアしてくださいね。
古市さんのインタビューはこちらから。