連載:山本祐布子の「子どものいる風景」 山本祐布子の「子どものいる風景」 折り紙の封筒に入れられて届く、娘からの手紙
Vol.10 手紙
ある日、絵を描く資料を探すために本棚にあった古い本をひっぱりだすと、その背表紙の裏から、はらりと手紙が出てきた。
その本は、亡くなられた、大好きな方から贈られた本。そして、その手紙も、その方のもの。
色あせた封筒から手紙を引き抜き、便箋をそっと開く。
とうとうと流れていた時間の、ほんのひと時がそこで止まっていた。その当時ももしかしたらそんなことを感じたのかもしれないが、遠く離れた今それを振り返ると、流れている時間を、その手紙が、す、と止めている、そんな感覚が俯瞰できる。
涙が出るというよりも、その方の筆致、言葉が、いつもいつも通り過ぎていた台所の本棚に、その時のまま、そこにあった。それに気づいた時、なんだかせつないような、でも見守られていたような、不思議な温かい気持ちがこみ上げた。
手紙って、いいな。すごく単純だけど、そんなふうに思った。
昔は友人と文通もしていたし、大事な方には必ず手紙を書いていた。
しかし最近ではなかなかゆっくりと手紙を書く習慣が自分の生活の中になくなってしまった。手紙が到着する時間までももどかしく、まるで瞬時の返信がマナーのように、メールで言葉を投げてしまう。よくないな、と思いつつ、いまだに手紙を書く習慣が取り戻せないでいる。
娘からの手紙が教えてくれること
もうすぐ6歳になる長女がだんだん文字を書く楽しみをおぼえはじめ、絵を描くようにいつも文字を書いている。それが、手紙になって折り紙の封筒に入れられ、時々届くのだ。開くと「ままだいすき」のたった一言。ままは鏡文字、文字もミミズのくねったような形。
そんな子どもからの手紙は本当に嬉しくて、冷蔵庫の横に貼ってはたまっていくのでマグネットがもうおいつかない。
そんな微笑ましい風景、この手紙たちはいつか遠く離れた時間の中でも、そのままの姿を留めておいてくれるのだろう。
もうすぐ誕生日をむかえる長女は、誕生会に誘う友人に招待状を出すと言って張り切ってカードを作った。切手を貼って、それがみんなに届くまでわくわくして待つ。
子どもは、いつも私に過去に置いてきてしまった大切なことを取り戻させてくれる。
私も誰かに手紙を書こうかな。