
連載:山本祐布子の「子どものいる風景」 山本祐布子の「子どものいる風景」 二人の遊びは、 なんというか、「仕事っぽい」のです
この連載は……
イラストレーター・山本祐布子さんのエッセイ。ふたりのお子さんと暮らす、家族の日々を綴ります。
vol.17 子どもとあそび

一日の長い数々の仕事を終え、空も暗くなり、もう体もくたくたで、さあ、お風呂でも入ろうか。。。
ふと見ると、子どもたちは暗い照明の部屋で、なにやら、白い紙を切ったりテープでつなげたりと、忙しそうにくしゃくしゃとやっている。
パパがこの二人を見て、「なにしてんの」と、聞く。
「遊んでんの」
子どもなんだから、遊んでんでしょ、当然でしょ。
そんな風である。
子どもは遊ぶ。とにかく遊ぶ。時間があってもなくても、遊んでる。見ると、遊んでる。
その遊び続ける様は、なんというか、清々しいほどである。
そこにきて、この大きな大きな庭です。もう、素材は無限にあります。葉っぱだって、土だって、花だって、虫だって、全てが子どもたちの遊び相手。
ある夜の、温室での夕食。私たちがせっせと料理を運んだり、食べたりしゃべったりとしている間に、二人は外でお料理ごっこ。炭をおこして(いるふり)、そこでいろんなものを焼いています。
石ころを肉に見立て、葉っぱやハーブで飾り付け。
ふと気づいたら、テーブルになにやらこんがりと美味しそうな、暗い温室の中ではどう見ても油のしたたるような唐揚げ風が、そっと置かれているではないか。
石を濡らした後に土をまぶしているのでクリスピー感この上なく、これ、もしかしたら酔っ払ったおじさんならば、がりっと食べてしまうよというような完成度です。
親である私たちと、やることが一緒!?
ある晴天の日。玄関先では二人の和菓子屋がオープン。その時期に満開だったツツジを材料に、赤い花を葉っぱでくるんでこしあん。白い花は白あん。せっせと大量生産し、箱に詰めていきます。
「桜餅だよー、買ってくださーい。箱に詰めてお売りいたします!」
ツツジの桜餅は、どんどん出来てきます。向かいに座った妹も張り合って作り、掛け声はますます大きくなり、ライバル店よろしく激戦を繰り広げます。
雨の日や部屋の中では、絵本をひたすら読んだり、折り紙でごちゃごちゃとおもいついたものを作ったり、作ればそれを披露しに私たちに飛び込んでくる。。
いわゆる、おもちゃで遊ぶ。ゲームで遊ぶ、ということはほとんど皆無に近く、二人の遊びは、
なんというか、「仕事っぽい」のです。
遊びと言ってもいいし、作業、と言ってもいい。
あれ、ふと気づくと、親である私たちと、基本的に、やることが一緒ではないか!?
家で仕事をしている私たち。自由であると同時に、常に現実を生活に持ち込みながらひたすらちょこまかと家の周りを動き回っている、子どもの姿とそう変わりないといえば、変わりない。
もちろん、私たちは遊んでいるわけでは、ありません。でも、子どもたちがもしも、私たちの姿を見て自然にこのような遊び方をしているならば、なんだか、私たちの暮らしって、楽しいかもしれない。
この親あって、この子あり。
そうだ、二人とも、この調子で現実の社会を、楽しく元気に生き抜いていくのであるぞ。
そんな風に、「激しく」遊ぶ子どもたちに、頼もしささえ、覚えてしまう私でした。