連載:山本祐布子の「子どものいる風景」 子どもたちは、一心不乱に、自分の興味の道へ突き進む【山本祐布子の「子どものいる風景」】
この連載は……
イラストレーター・山本祐布子さんのエッセイ。ふたりのお子さんと暮らす、家族の日々を綴ります。
vol.28 二人の才覚者
ある日。
いつものように学校帰りのおねえちゃんを車で迎え、後部座席に座らせて妹の保育園まで車を走らせる。
おもむろに話し出すみーちゃん。
「エジソンはね。
死んだ理由が2つあると言われているの。」
。。。。はい。。?
へー。としか答えられない親の私。その後、2つの理由が聞かされたような気がしますが、今の私の頭には、まったく記憶にありません。
とある日。
「はいクイズです。
おいちのお父さんである人は?」
「。。。。わかりません」(私)
「おだ? のぶ。。。?」
えーーーい。わからないと言っておる!!!
と、まったく答えられない私。涙。
二年生になるみーちゃんは、本の虫でして、図書館で抱えきれないほどの本や図鑑を借り漁り、特にはまって何冊も何冊も読んでいたのが、歴史上有名人の伝記でした。エジソン、キュリー夫人シェイクスピア、スティーブジョブスから宮沢賢治手塚治虫まで。
好みの男性は「牧野富太郎」という始末。
そこで得た豆知識を私に教えてはくれるものの、できの悪いお母さんにはちっとも蓄積されず、「ふーん へー」という新種の動物の鳴き方のごとく繰り返すしか術がありません。
一方5歳になる妹のさーちゃんのほうはというと、はっと気づくと子供部屋のすみっこの机にむかってなにやら製作中。いつも忙しそうに、アイデアをひらめいては走り去り、折り紙のアクセサリーやお姫様の絵などをもってきては見せてくれます。
「手を出して」と、手を広げると、そこにはアルミホイルをハートにかたどった、きれいな宝石。
あるときは折り紙をつなぎ合わせて立体にし自作のドールハウスをつくりあげ、洋服をひっかける棒とハンガーとお洋服とおぼしき形状の切り絵があたりに散らばっている。
お絵かきは日々進化して、今は目が顔の半分のスペースをしめて、きらきらと輝いております。
わたしは、なにも、していません。
なにも、教えたり、勧めたり、促したり、していません。
なのに、子どもたちは、一心不乱に、自分の興味の道へ突き進みます。
田舎の町へ引っ越してきて、心配はここらへんにもやっとありました。子どもに、何をさせてあげられるかしら。お稽古? 何々教育? どうしたらいい? 美術館ない。お教室ない。なにもない。なにもない。あるのは自然。そこには自信があったけど、本当にそれだけで大丈夫かな。
大丈夫でした(笑)
情報が少ない分多少の偏りはあるものの、その中でも子どもたちは私の考えを飛び越えてたくさんのことに触れています。
分厚い物語一冊を読み終わったみーちゃんの満足そうな顔。素敵なものができてうきうきしているさーちゃんの嬉しそうな顔。
日常の中で、小さな芽のようにいろんなことに紛れて見えにくかったそれぞれの個性が、今ぐんぐんと、伸び、複雑化し、きっと私の背丈を飛び越えていく日は近いのでしょう。
ある夕方、二人が小さかった頃に気に入って遊んでいた、玉を転がすレールのおもちゃを出してきました。落ちた先に鍵盤がついていて、ちろちろりん!となるやつですね。
二人夢中になって、穴に玉をいれていきます。ころがった玉が、落ちてちろりんと、きれいな音をたてる。
ああ、こうして、単純なことに夢中だった。そうだ、この子たちは、小さな子どもだった。
そのちろりんちろりんという懐かしい音に、妙な納得で胸が熱くなりました。
朝の忙しい時間。みーちゃんがシェイクスピアのロミオとジュリエットのいち場面を朗々と語ります。
「おーロミオ、ロミオはどうしたの」
それを言うならどうしてロミオなのでしょ!
大笑い。
子どもって、やっぱり子どもだな。
面白いな。楽しいな。