連載:山本祐布子の「子どものいる風景」 娘たちよ! この「ありがとうポスター」は間違っている(笑)【山本祐布子の「子どものいる風景」】
この連載は……
イラストレーター・山本祐布子さんのエッセイ。ふたりのお子さんと暮らす、家族の日々を綴ります。
vol.29 ありがとうポスター
我が家の仮住まいの家はもとは研修棟と呼ばれる建物で、いわゆるとっても、事務的な素材でできている。壁にはホワイトボードがかかり、壁自体もマグネットで張り紙ができるように鉄でできている。
それは案外便利なもので、学校や保育園で必要なプリントなどはマグネットでピタッと貼れるし、台所には今作っているシロップのレシピなんかも、目の前に貼って見ながら鍋を混ぜることだってできる。
子どもたちはその便利な壁を利用して、いつしか大きなポスターを作り始めた。
まずはじめに生まれたのが、
「お手伝いポスター」
ママのお手伝いを一つすれば、シールを一つそこに貼ることができる。書かれた空の丸たちがシールで埋まれば、なにかご褒美がもらえる。
もう一つ同時に誕生したのが
「お片付けポスター」
子どもの部屋を一回片付けたら一つ。これもまたシールを貼っていく。
それからといもの子供たち、張り切る張り切る。
しかし。。。
「ご飯にするよー、お茶碗運んで」と、子供たちに茶碗を運ばせる。
一つ運ぶとすっとどこかにいなくなったかと思えば、一つシールを貼っている。
折り紙を袋にもどしたとたんすっといなくなり、シールを貼りに。
張り切るのは、どうやらお片付けやお手伝いではなく、シールを貼ることなのでなないか。。。。?
うすうす気づく母。
しかもシールがいっぱいになれば、また隣に新しい列を作り、またそこにシールを張り始める。
エンドレスに続く大きなポスターの列は、増えるばかりでゴールがない。
ある日、この二枚のポスターに飽きたらず子供たちが思いついたポスターが、
「完食ポスター」と「ありがとうポスター」
前者は、妹のさーちゃんの食べ残し具合が問題になり、まじめなおねえちゃんのみーちゃんがさーちゃんのやる気をおこすために作ったもの。
一方この「ありがとうポスター」っていったい?
いわく
「ママにありがとうと言われたら一つシールがもらえるの」
ありがとうねえ。言われたら、ねえ。
なんだかここには、月並みな言葉でいわゆる、ギブと、テイクがなんだかごちゃまぜになってはいっている気がする。
時々、ママなんかは、ギブとテイクのうち、自分はギブばっかりしているような気がしてきてしまうんだ。テイクのほうを相手に求めるのは到底ムリなわけで、でもそういうことばかりが何年も続くと、ふと、ギブばっかりなんじゃないかって、疲れてきてしまう、そんなことを思う、お母さんはきっと少なくないのじゃないかなと思う。
でも、時がたってふと、気づけば泣いてばかりで抱っこしていた娘たちが、疲れた私をなぐさめてくれたり、言われなくても着替えをたたんでいたり、お茶碗を運んでくれることだって、思えばびっくりしてしまうこと。
そういう時に出てくる気持ちが、本当の「ありがとう」ってことなんだろうなって、思う。
できれば、常に、与えてあげることだけ考えていたい。
こうしてほしい、ああしてほしいじゃなくって、こうしてあげたい、ああしてあげたい。常に自分が差し出す側でいたい。
こうして受け取る=テイクへの欲望を忘れた時に、心から、だれかのやってくれたことを「ありがとう」と思えるのだよ。
娘たちよ!
この「ありがとうポスター」は、間違っている(笑)
ベッドで私が寝転がっているとふざけてさーちゃんが乗っかってきた。
5歳の体は立派に重たく、しかしなかなかに良い刺激に。。。
「あー意外に気持ちよかったよありがとう。」
その途端私の体から滑り降り、さっさと部屋を出ていってしまった。
のぞくと涼しい顔してシールを貼っているではないか!
なにをおしゃべりしていたかは忘れたが、なにかをおしゃべりしていた。
ふとした瞬間にさーちゃんの顔が厳しくなり私を指差すなり
「今何回ありがとうって言った?ママ」
と、シールの数を数えている。。。。
まあいいか!
私は、あなたたちに、何度でも、何度でも、ありがとうって、
言っていたいよ!