連載:山本祐布子の「子どものいる風景」 自分でつけたのに。子どもを名前で呼ぶには、ちょっと物足りない気持ち【山本祐布子の「子どものいる風景」】
この連載は……
イラストレーター・山本祐布子さんのエッセイ。ふたりのお子さんと暮らす、家族の日々を綴ります。
vol.30 なまえ
夏休み、おばあちゃんの家に帰省した際、押し入れに積み上げられた「ぬいぐるみ等」と書かれた小さなダンボールに娘たちの目が釘付けになった。開けるとがらくたの中に、いつの日か私が両親から買ってもらったテディベアが、窮屈そうにして入っていた。ひと目で気に入った娘たち。彼女たちが開口一番に話し合うのは。。。
「なんて名前にする?!」でした。
そのテディベアの名前がなにになったかという話ではなく、娘たちは、とにかくいろんなものに名前をつけるのが大好き。気づけば、数あるぬいぐるみ全てに、名前がついています。
それは玉石混交、なんだか素敵な名前ね!というものもあれば、それ、そのまんまじゃん!とつっこみたくなるような適当な名前まで。
ドイツで友達にもらった二匹の馬のぬいぐるみは「ダイヤとコーン」。誕生日に買ってもらったリスには「チャック」。大きなくまは「クートくん」。なぜか私がイタリアで買ったおしゃれなあみぐるみの女の子にも名前をつけられ、これまたなぜか「パイナちゃん」。この子にはテーマソングまであって、よく振り回しては、踊って歌わされていました。
謎ながらも創意のある名前かと思えば、私が若い頃から大事にしていた豚のぬいぐるみはただの「ブー」です。この間大切な友人の新生児のお祝いに伺ったお宅でプレゼントしたハリネズミのぬいぐるみには、「ハリー」となんとまあ、単純な名前の置き土産までして帰ってきました。
彼女たちの命名グセはぬいぐるみにとどまりません。ある日我が家に導入されたロボット掃除機。
健気にゴミにむかって突進する姿や、充電器によたよたともどっていくその姿に「かわいいー!」と狂喜。白いボディから、その名前は「ホワちゃん」と名付けられました。
その日以来、ホワちゃんが微妙な段差でどかどかと血迷っていたり、ベッドの下で紙くずを吸い込んで気を失って「ホワちゃん、大丈夫?」と駆け寄る時など、ひっくりかえしてクズをとってあげる時など、なんだか一種の生き物のようにも思えてくるわけです。
名前は不思議です。名前をつけるということで、名前がなかったときとは違う、愛情が芽生える。
ような気がする(笑)。家族の一員みたいに、なんだか、仲間みたいに思えてきます。
娘たちの、一種の愛情表現とでもいいましょうか。
こんな娘ならば親の私はというと、ふたりの娘のことを普段よぶとき、いつも変なニックネームで呼びます。長女のことは「みーちゃん」「びーちゃん」「びっちゅん」「びびちゃん」
次女のことは「ちゃーちゃん」からはじまり「ばんぼちゃん」「ぱーちゃん」「タートゥン」など。
ぜんぜん深い意味はありません。ただなんとなく、娘たちの姿を見ていると、可愛くて可愛くて、なんか、変な呼び方をしたくなる。これ、私だけでしょうか?!
何気ない仕草や、お腹にくっついてくる時に真上から見る子どもの可愛いおでこ。かろうじて私の手の中にすっぽり収まる、大きくなってきた小さい体。一心にふざけている時のおかしさ、なんか、こちらも普通に名前で呼ぶんじゃ、ちょっと物足りない。自分で付けた名前なのに、変ですね。
名前といえばもう一つ。
この一年と半分、mitosayaという名前で、夫は事業の準備をしています。
最初夫がこの名前に決めた時、なんだかくすぐったいというか、うわずっているというか、なれない自分がいましたが、今ではいろんな人が「mitosaya」と呼んでくれます。
ミトサヤ、娘たちの名前でもあり、「実」と「莢」植物の命そのものでもある。
偶然が産んだこの名前。今では偶然を超えて、今の私たちの住む環境にぴたりと合っている。これもまた不思議なことです。
この名前を多くの人に愛情を持ってよんでもらえるよう、私たちは今一生懸命がんばっております。