連載:山本祐布子の「子どものいる風景」 こんな毎日の中でもきっと、二人ならば見つけられる。園庭の砂の中から光る粒【山本祐布子の「子どものいる風景」】
この連載は……
イラストレーター・山本祐布子さんのエッセイ。ふたりのお子さんと暮らす、家族の日々を綴ります。
vol.36 きらきら
ある晴れた日、次女のさーちゃんを保育園にお迎えに園の門をぬけ、園庭をのぞむ。
大きな園庭の中に、ちいさなさーちゃん、いたいた。ん?
さーちゃんは園庭のど真ん中で泣いている。
さめざめと、悔しそうに、肩をすくめて一人で泣いている。
どうしたのー!?と駆け寄ると、さーちゃんは手の平を私に見せた。
園庭の砂がついていて、その手のひらを悲しそうに見つめながら、
「お砂の中にね、きらきらみつけて、ね、拾ったのに、落ちちゃったーーー!!」と大泣きです。
聞くと、砂に混じった、ほんのほんの一ミリもないような、小さなガラス粒。それを見つけて嬉しくなって、指でつまんで拾ったけれど、どこかに落としてしまったという。。。。
きらきらかあ。どこかなあ。。。。
そういう目で見ると、園庭に敷かれた砂は、ただの砂なんだけど、たしかに、太陽の日をうけてきら、きら、と光るものが、たしかに、混ざっている。
だけど、それを一粒定めて、指で拾おうとすることはとてもむづかしい。
泣く泣く諦めたが、車に乗る頃にはすっかり忘れたように普通のさーちゃん。
とある朝。ラジオで流れてきたあるガラス作家さんのインタビューに耳を傾ける。
ガラス作家になったきっかけは、子供の頃の記憶が原体験としてあるとおっしゃる。
駄菓子屋さんに売られていた、ガラス瓶にはいったきらきらしたガラスの小さな玉の記憶。
それをお金を握りしめては買って、そのきらきらした光を眺めているのがとても好きだったと。
それを聴いて、先日のさーちゃんのきらきら事件を思い浮かべたのだ。
今はすっかり忘れてしまったこと。でも、さーちゃんの未来に、みーちゃんの未来に、今、この瞬間が、きらっと光って、それがもしかしたら、彼女の人生を左右するかもしれない。そんなことが、あるかもしれない。
何気ない出来事、人との出会い、わたしたちが彼女たちに見せてあげられることは日々の中では多くはないけれど、でもきっと、園庭の砂の中から光る粒を見つけられたように、こんな毎日の中でもきっと、二人ならば見つけられる。
見つけてほしいな。と。
このところの寒さで咳こむことが多くなり、今日は寒いから、保育園もお休みしよっか。
雨の降る中、一人だけおやすみモードのさーちゃんは、机に向かって熱心になにか作ったり、描いたりしている。
カレンダーの裏紙と、鉛筆さえ与えておけば、何時間でも過ごすことができた、かつての私みたいに。
きっと彼女の眼の前には、この瞬間にも、たくさんの光の粒を、見つけているに違いない。
つかまえることは、むづかしいかもしれないけれど、きっと、いつか、ね。