
連載:山本祐布子の「子どものいる風景」 信じるってすごい才能かもしれない。小人さんがいると信じて手紙を書く娘たち【山本祐布子の「子どものいる風景」】
この連載は……
イラストレーター・山本祐布子さんのエッセイ。ふたりのお子さんと暮らす、家族の日々を綴ります。
vol.39 夢を見ること

ある夜。みーちゃんとさーちゃんがテーブルのライトの下で、なにやら一生懸命やっている。
なにやってるの?と私が聞くと、
「小人さんに、お手紙書いてるの。」
ふたりは真面目だ。
きっかけは、みーちゃんのお休みだけに会えるお友達が、ある日小人さんにお手紙を書いたら
きちんと返事がきたんだそうだ。だから、自分たちも、書いたら絶対に返事が届くに違いない。
と信じている。
ここで、私は考える。
返事は、誰が?
小人?
まさかね。
パパ?いやあ。
私だよね。私?
はっと我に変えると、ちょっとだけめんどくさい自分がいる。お友達のご両親、やってくれるわね。
しかし小人っていったいどんな人?どれくらい小さい?日本語は喋れるの?そもそも字は書ける?
私の中の、小人設定を整備する。この真面目なお二人には、どうにか答えてあげたい。
でも、あまりめんどくさい設定にすると、後で大変なことになるかも。。。。
私の中で、現実的に対応できる範囲の身の丈に合った小人像を作成する。
まず、字は書けない設定。すごーく、小さい設定。自然の中で、生きてる設定。ここまで来るのには、とっても苦労している設定。よしこれでいこう。
ちょうど、運良く2つも見つかった四葉のクローバーを、本に挟んでおいたんだ。これを、プレゼントしにきてくれたってことにしよう。うんしょ、うんしょって、運んできたんだよ。
二人の手紙の上にそっと置く。お返事を書くようにと用意された鉛筆で、豆粒よりも小さなもじゃもじゃを書付けておく。何気なく朝を迎える。
(私)「大変大変、小人さんが、きたみたいよ。」
二人は飛び起き、テーブルにまっしぐら。置かれた四葉のクローバーを眺めるが、それよりも
紙に書きつけられた、もじゃもじゃした文字が気になる。とっても気になる。何が書かれている?
(何も書いていません)二人はとっかえひっかえ、虫眼鏡でそれを検証。だけど、何もわからない。
(私)「小人さんて、よっぽど小さいんだろうねえ。この四葉持ってきてくれるの、大変だったんじゃない?きっと担いで来たんだよ」
これは何?ふいにきたクリスマス?
二人の表情はあまり変わらない。嬉しそうでも、悲しそうでもない。
次の夜も、テーブルのライトの下でやってるよ。まただね。
「つぎは、もっとおおきなじで、へんじをください」
やっぱり不満ですよね。
しかし翌日は朝ゴミ捨てのついでに桑の実を2つ摘み、手紙の上においておく。
小人さんは、文字は書けないって設定を貫いて、桑の実だけにしておく。
朝、また飛び起きた二人は二粒の桑の実を眺め、返事はなかったことを残念そうにしている。
雨だったしね。だけど、妹はぽんと口に入れた桑の実、お姉ちゃんは食べなかった。
小人が背中に背負って運んできたと思うと、ちょっと躊躇したのかな。
それ以来ふっと手紙を書くのはやめてしまった二人。
つまんなかったかなあ。ばれちゃったかなあ。なんて、思っていたらある時みーちゃんが、
「今日学校でね、友達にこびとさんから四葉のクローバーをもらったんだって、話したの。
そうしたら、みーちゃんって、想像力が豊かだね~~~って、言われたんだ。」
と言う。まるで、そのお友達の想像力が乏しいことを憐れむかのように言うのだ。
私は、信じてる。
信じるって、すごい。大人となった今の私には、サンタさんの存在が本当だとは思えないし、
小人だって、本当にいるなんて、とてもじゃないけど思えない。
だけど、子供たちの様子を見ていると、信じるって、もっと、能動的なことのようにも思えたのです。自分は、信じる。大人になると下手くそになるこの才能。でもそれは、大人になると
自然に抜け落ちていくものなのではなく、そうしよう。信じることに、してみよう。そういう気概のようなものなのかもしれない。それは、ある種のエネルギーなのかな。とも思えてならず。
二人が寝るベッドの枕の下をのぞくと、これまた手紙が挟まれています。
「怖い夢を、見ませんように」
それに添えてちょうちょの絵を書くと、怖い夢を見ないんだって。
すやすや平和そうに眠っているこの二人の頭の上で、かわいいちょうちょが悪い夢の番をしてくれている。そんな姿を想像して、ふと笑顔になってしまう。
ちなみに私の枕の下にもあるんです。自慢じゃないけどあまり良い夢を見ることがないとぼやいた私に、娘二人が書いてくれたかわいいちょうちょの手紙が。
私の夢も、どうかどうか。良い夢でありますように。