
連載:子育てエッセイ 坂上みきの「君はどこから来たの?」・7 バイリンガル? いえいえ、そうもいかないんですよ
ラジオパーソナリティ・坂上みきさんの人気連載!
ひょんなことからニュージーランドの男性と出会い、
紆余曲折を経て、息子が生まれた!
日々雑事に追われつつ、その感慨をかみしめる新米ママの
一喜一憂を大公開。
この連載は……
結婚後、大きな決心をして、子どもを授かるに至ったラジオパーソナリティ・坂上みきさんが、一人息子との触れ合いや友人たちとの会話を通して遭遇するさまざまな感情をストレートに伝えていきます!
母の思惑は子知らず……。バイリンガルって何ですか?
国際結婚で幼い子供がいる場合、1番よく質問されることは何でしょうか?
それは、質問というより、感想に近いかもしれないが・・・「いいですねぇ。すでにバイリンガルなんでしょ?」というものだ。
そのたびに「いえいえ、そうもいかないんですよ、これが」と苦笑しながら説明を始める。
夫が四六時中、子供と接する時間があれば、たやすいことかもしれないが、うちの場合、夫は、平日、仕事で朝早く出かけ、夜遅く帰ってくるという生活で、子供はいずれの時間も眠っている。昼間に帰ってくることもあるが、今度はその時間帯、息子が保育園に行っているので、平日、パパと息子が会話する時間はほとんどない。
保育園を英語教育にすることもチラリと考えたが、日本語を学ぶことも大切だし、日本語は難しいので、日本語の保育園に通わせた。
「私が言うのも何なんですが、アイデンティティのためにも、日本的情緒という面においても、小学校までは、実は日本語をベースにした方がいいんですよ」とインターナショナルスクールの校長にこっそり打ち明けられたことがあるから、間違った選択ではなかったのだろう。
そんなわけで、日常の9割を日本語漬けで過ごしていると、バイリンガルなど夢のまた夢。こんな顔して、これではいかん、と週に2日、英語のスクールに通わせる始末。そこでは、何を言われているか理解はできても、つまり聞く耳は育つが、本人から自発的に喋る「発語する」というのが一番難しいらしく、英語で会話が成立するのは、残念ながらもっともっと先のことになるのだそうだ。
週末、夫は、基本的には無口な人なのだが、息子に向かって一生懸命、英語でべらべら話しかける。どんな些細なことでも、目に見えるものすべてを英語で語るその姿は、涙ぐましい、と言ってもいいくらいだ。
外出した折など、行きかう車のすべてに「イエローカー!」「ダンプトラック!」などといちいち言って見せ、消防車など来ようものなら、まるでくじ引きにでもあたったかのように「オオオ、ファイヤーエンジン!」と大げさに発音するものだから、ガソリンスタンドを見つけるたびに、息子は「ギャア~ステイショ~ン」と高らかに言い放つ。
英語の絵本の読み聞かせでも、日本人のニガテな「th」や「V」,「R」と「L」の発音にはうるさく、「The」が出てくるたびに立ちどまって、歯と歯で舌を挟んで、「ザ、ザ、ザ」とやって見せるのだが、そうゆう意図が丸見えなのは、子供は面白くないらしく、シカトを決め込まれ、がっくり肩を落とす。

夫に押し付けるだけでなく、私にもう少し英語力があれば、また違ったかもしれない。実は、身近にケーススタディが2例ある。
フランスの女の子が「奥の細道」を!?
親戚に、両親ともに大学教授で、息子が生まれた時から家では英語!をルールに育て上げた家族がいる。
ずーっと日本で育ち、日本の大学まで出た彼は、幼いころから完ぺきなバイリンガルで、今はアメリカの大学で教鞭をとっている。
地頭がいいんでしょ、と片付けてしまうこともできるが、両親が日本人でも、意識が高ければ可能なのだ。
また、叔父はフランスに長らく住んでいるが、50代後半でフランス人女性との間に娘を授かり、その娘が0歳から18歳になったおととしまで、バカンスの度に日本に帰ってきて、1か月間、日本中を旅しながら過ごしていた。
もちろんパリに暮らす日常でも叔父とは日本語で話すというから、そこでも十分、日本語の力はついていたとは思うが、毎年日本で経験したことが生きた日本語として身に付き、彼女の日本語はこれまた完ぺきなのだった。
どころか、「奥の細道」をスラスラと暗唱するし、私が旅で合流した時も、カーナビに入力するのは彼女の役目。すなわち読み書きも完ぺきってこと。
ただ、叔父が関西弁なのと、御年70代、単語の中には若干懐かしいものもあって、娘は、くりくりしたつぶらな瞳で「写真機とってくれへん?」などという時がある。イマドキ、カメラではなく、写真機という人はまずいないが、でも、彼女が発すると、とても魅力的だったりするんだなぁ。
息子がもう少し大きくなったら、夏休みを利用して、NZのおばあちゃんちで、1か月過ごさせるのもいいかもしれない。そのほうがよっぽど早く、確実に英語が身に付くことだろう。丁寧な義母のクイーンズイングリッシュが頭の中で反芻される。息子も少しレトロな訛りを覚えてくるのかもしれないが、それもまたよし!
英語教育で右往左往していると、「英語は、話すことが目的ではなく、あくまでも手段ですよ。それを使って何ができるかが大事なんです」と諭してくれた人がいる。
確かに。そういえば夫も、息子の将来の選択肢が広がる、という意味でも、英語を習得させてあげたいんだ、と常々言ってたっけ。英語を駆使できれば、日本を飛び出し、活躍できる場はぐ~んと広がるだろう。
でも、まてよ、AIや優秀な翻訳機ソフトが出てくれば、多言語を学ぶ必要は全くなくなるのかも。いやぁ、想像もつかないけど、案外近い未来なんだよね。
悩みに悩んだ英語教育も、結局は徒労に終わり、無駄になるのかもしれないが、あまりにも悩むことが多すぎて、悩むこともひっくるめて、子育ての醍醐味なんじゃないかと、最近ようやく思えるようになってきた。
