
連載:子育てエッセイ 坂上みきの「君はどこから来たの?」・17 妊娠中、突然、カフェで泣きじゃくりそうになったことがある
ラジオパーソナリティ・坂上みきさんの人気連載!
ひょんなことからニュージーランドの男性と出会い、
紆余曲折を経て、息子が生まれた!
日々雑事に追われつつ、その感慨をかみしめる新米ママの
一喜一憂を大公開。
この連載は……
結婚後、大きな決心をして、子どもを授かるに至ったラジオパーソナリティ・坂上みきさんが、一人息子との触れ合いや友人たちとの会話を通して遭遇するさまざまな感情をストレートに伝えていきます!
妊娠不安の乗り越えかた

眠くて眠くて、しかたがない。
寝ても寝ても、寝足りない。
お腹がすくと、気持ちが悪い。
一日中、うっすら吐き気がしてる。
妊娠初期は、そんなモヤモヤをずーっとかかえながら日々暮らさねばならない。これがツライ。いわゆるツワリってやつだ。
これがもう、見事に千差万別。十人十色。100人の妊婦に100通りのツワリがあると言っていい。
「全く感じなかったんだよね。」というケロリな妊婦もおれば、「もう、大変。半年入院、点滴生活だったのよ」という悲壮な妊婦もいる。
私は、まぁ、おかげ様でごくごく平均的。年齢とツワリは比例しないのだった。
ともかく、お腹がちょっとでも空くと、オエッ、なので、常に何かをついばめる状態を作っておかねばならない。カバンの中に、カロリーメイトやシリアルバーを何本もしのばせて、不測の事態に備えていた。
仕事をしている間は忘れられるのだが、そこで抑えていた分、仕事が終わったとたん気持ち悪さが倍増する。
毎日、朝の番組で生ナレーションをしていたので、午前9時ころ汐留の日テレに出かけていき、お昼前に終わったら、即、一人でその界隈の食べ物屋さんに駆け込んだ。
シティセンタービル、カレッタ汐留、ロイヤルパークホテルザ汐留にあるお店は、ほぼ制覇したといっていい。
OLさんたちのお昼時に交じって、会話がワァワァ天井に反響する中で、おひとり様ランチをするのって案外気持ち良かったりするもので、1日の中で唯一ホッとできる時間だった。
面白かったのは、ツワリの期間、その日その時、食べたいものが、明確に、はっきりくっきり頭に浮かんだこと。
「ステーキが食べたい!」と思ったら何が何でもステーキでなきゃダメなのだ。「ウナギ」の時もあれば、「うどん気分」や「フルーツのみ」ということも。
時には、普段ほとんど行ったことがないのに、何が何でも、絶対に「喫茶ルノワール」で食べたい!という場所指定の場合もあって、自分でも驚いた。レトロ感あふれる、ほの暗い、あそこの何が、妊婦を刺激したのだろう。
いっぺんにたくさん食べると、それはそれでハァハァ息切れがして、苦しくなる。
自分のツワリパターンを探り探りしながら、折り合っていくしかない、ってのも厄介でね。面倒くさいから、ふて寝して、すべて忘れようと試みる。
食べて寝て、食べて寝て、人生最大のお相撲さん生活到来、寝るのも仕事か、ごっつぁんです。おかげで体重は、必要以上に増え、検診のたびに、ドクターからネチネチ注意を受け、自己嫌悪におちいる日々だった。
13時から映画の試写を予定している時には、ランチを銀座や京橋まで足を延ばすこともあった。
すきっ腹を少しでも延長すると、行き倒れるのではないか?と不安になるくらい、吐き気が押し寄せてきた。
どうにかこうにかたどり着いた西銀座のカフェの一番奥の席にドテッと腰を下ろし、サンドウィッチをつまみながら、突然、涙があふれ出て、泣きじゃくりそうになったことがある。
苦しいからではない。ツライからではない。「シアワセだ」「私、シアワセ」という感情が、時と場所をわきまえず、洪水のようにあふれ出る。
意志とか、頭の中で考えて、とは別のところから容赦なく押し寄せてくる。それはそれで、嬉しいはずなのに、もう、わけわかんない。
全部、ホルモンのせい。
吐き気で気力も萎えがちだったが、仕事や用事をしていると気も紛れるので、調子のいいときは、スケジュールを埋めて、なるべく外に出ていくようにした。
ある週末の午前、神奈川の海辺の神社で安産祈願の祈祷をお願いし、午後、川越の「うつわノート」に気になっていた作家さんの器を見に行き、勢いで購入。デカい皿を抱えたまま、夕方、さいたまスーパーアリーナのレディ・ガガコンサート。ってそれはいくらなんでもやり過ぎだろ? 関東縦断。
乗り継ぎの電車に乗り遅れまい!と、妊婦が、階段2段飛ばしで駆け上がってはいけません。
自分からは体を揺らすまいとしても、ガガのステージだもの、会場全体が終始ズンズンズンズンと地鳴りのように響き、体は勝手に揺れてしまう。
ソラミタコトカ、次の日、お腹がキューンと張り、明らかにそれまでとは違う、痛みも伴っていた。病院に駆け込むと、「切迫流産の心配が、ないとは言えません。しばらく安静に」と告げられた。
バカバカ、馬鹿な私。
「何か、心当たりはありますか?」と聞かれ、「ガガ・・・ですかね?」
好奇心旺盛なドクターはガガの来日を承知していて、「ガガかぁ」と大きくため息をついた。
妊婦はこうして闘う!
この時期、身体の変化だけではなく、気持ちはいつも不安でいっぱい。
前述したような「しあわせ」気分が押し寄せることもたまにはあるが、頭の中には「この子は無事うまれてくるだろうか」という不安が、ドンと居座ってるような状態で、それが常に頭をもたげていた。
一度、随分前に本当に流産をしたことがある。その時も、同様の「不安」が頭から離れず、拭っても拭っても追い払えなかった。そして、そのせいで、流産したのでは?と自分を責めた。
自分の弱さへの罪悪感、子を持つことの覚悟が出来ていなかったことへのふがいなさ。三日三晩「自分は母になれないのだ」と泣きとおし、責めて責めて責めまくった反省から、今度は、その「不安」がよぎるたびに闘うのだと決めた。スポ根みたいだね。
どうしたのか?
その「不安」がやってきたら、客観視して「今、来てるよね」と気づき、ただ、ひたすら、「考えない、考えない」と追い払う。
頭の前で、実際にチャッチャと手をフリ、追い払うジェスチャーをしてしまっていることさえあった。ハタから見ると滑稽だったかもしれないが、必死だったのだ。
「Be Strong! Be Positive!」と、呪文のように唱えることもあった。
きゃあー、恥ずかしい。
もっとスマートなやり方や、目からうろこのような「覚悟」を決めさせてくれる「気づき」があったら披露しがいもあるのだが、こんなシンプルな、愚直な方法で、どうにかこうにか乗り切ったのだった。
子供を産んでからしばらくして、うんと若い知人が妊娠して、同様の「不安」を口にし、「どうしたらいいかわからない」と相談に来た。みんな悩みは同じ。
ただひたすら不安を押しやるだけよ。というアドバイスを素直に聞き、実際に、そうしたかどうかは知らんが、無事、元気な子供が生まれたと吉報が届いた。
振り返れば、あんなモヤモヤと火照ったような憂鬱は二度とイヤ!と思いながらも、子を持つプロセスとしてとても大切な時期で、あの感覚が失われつつある今は、愛おしいとさえ思える。
あの頃、時々モヤモヤがふっと一瞬消える時があって、「あら、今日は、スッキリ気持ちがいい」なんて思うどころか、「エッ? ひょっとして、お腹の中でまたいなくなってしまったの?」と突き落とされるような不安も何度か味わった。
モヤモヤは「ボクがここで少しずつ成長しているよ」の大事な大事なサインなわけで、それを体が教えてくれていたわけだ。
妊娠によって、人生のシーズンが明らかに変わってきた。
前ほど、ギアをあげる必要はないし、あげられもしない。習い性で、いまだにジタバタしているところはもちろんあるが、ゆっくりゆっくりシフトしていこう。
体が、ちゃあんと答えを出してくれるから。