連載:子育てエッセイ 坂上みきの「君はどこから来たの?」・25 息子を育てた音楽。キッチンに常備している5枚のCD
ラジオパーソナリティ・坂上みきさんの人気連載!
ひょんなことからニュージーランドの男性と出会い、
紆余曲折を経て、息子が生まれた!
日々雑事に追われつつ、その感慨をかみしめる新米ママの
一喜一憂を大公開。
この連載は……
結婚後、大きな決心をして、子どもを授かるに至ったラジオパーソナリティ・坂上みきさんが、一人息子との触れ合いや友人たちとの会話を通して遭遇するさまざまな感情をストレートに伝えていきます!
離乳食作りは好きですか?
離乳食を作るのが、大っ嫌いだった。
刻んだり、すりおろしたり、漉したり、塩抜きしたり、そのひと手間、ふた手間が、何より面倒くさい。料理が嫌い、なわけでは決してない。普段の料理では、手順が複雑であればあるほど、闘志が燃えることもあり、美味しくて、見た目も美しい、そんなバラ色の着地点が見えさえすれば、永遠にだってみじん切りしていられる。
なのに離乳食ときたら、その着地点は、ドロドロ、べちゃべちゃ、薄味、まずそう。あくまで、6か月を過ぎた赤ん坊の、固形物へ移行するためのトレーニング期間なんだからと割り切ればいいものを、自分が口にするわけでもないのに、美食に馴じんだ大人の舌が、それを許さない(美食家でもないくせに)。
シラスに熱湯かけて塩抜きしながら、「まんまの塩加減が美味しいに決まってるだろ!」と憤り、やわらかい豆腐をすりこぎでつぶしながら、「豆乳、飲ませたほうが早いんじゃないの?」と悪態をつき、小粒納豆をさらに細かく刻みながら、「何をしてるんですかね? わたしは」と憂鬱な気分になってくる。
要領のいいお母さんは、市販の瓶づめ離乳食を多用し、「たっくさん種類があって、便利よぉ」と、わけもない感じで、爽やかにやり過ごす。さっそく、いくつか瓶を試してみたが、おかげさまで(?)どの味も息子は、いっさい受け付けなかった。
手際のいいお母さんは、薄い出汁も、軟らかく煮た野菜も、製氷機に小分けし1個1個、使う分だけ取り出し、パパッと終わらせる。離乳食ごときで気持ちをこじらせている私をあざ笑うかのように、1歩も2歩も先を行くのだ。
けど、「製氷機に小分け」のほうが私には面倒くさいし、そもそも、「薄い出汁を作る」「野菜を必要以上に軟らかく煮る」ことに抵抗感があるわけで、結局、これは試さずじまいだった。
面倒くさいのは、オマエだよ。
ですよね。
このころの、いつかの夢は、「息子と一緒に焼き肉屋に行くこと!」だった。本気で切に願い、憧れていた。無煙ロースターをはさみ、小さな息子とサシで向かい合いながら「ロースにカルビ、乳歯も立派に育ったから、え~と、タンもいっちゃう?」などと、好き放題注文し、たらふく食べて「喰った喰った」と二人で満足し、夜風にあたりながら、「おいしかったねぇ」と顔を見合わせ家路につく。
そんな夢、叶えてしまえば、どうってことはない。でもそれほどまでに、離乳食から抜け出し、大人と同等に食べられる少年に、早く成長してほしかった。
「嫌々」「渋々」が澱のように溜まった重い空気のキッチンから一刻でも早く逃げ出したい、という強迫観念は日増しに募っていったのだった。
母を救い、息子を育てた愛のBGM
8年ほど前に、ジャケ買いしたCDがある。
時間つぶしに入ったタワレコのジャズコーナーで、美しい横顔に惹きつけられ手に取った。横顔だけの潔いジャケット。額のなだらかな稜線から気高い鼻梁を抜け、艶めいた唇にたどり着くと、今にも呟きそうな予感に、ドキリとする。
わぉ、クールビューティ。
韓国のジャズユニット「WINTERPLAY」のボーカル、ヘウォンの横顔だった。
韓国ジャズの珍しさも手伝って、即買い。初めはサラサラと流れていくばかりで、どこか物足りない。が、聴けば聞くほどに、近づいてくる。自分の中にグッと入り込んでくる、というよりは、自分が今いる風景がふわりと華やぐ。まるで映画のシーンを盛り上げるかのように、リアル人生のBGMとして、自分とその周りごと、より上質な世界へ誘ってくれる。
心地よいではないの。
これほど邪魔をしないでいてくれる1枚に、声に、出会えることは、奇跡とは言わないまでも、ラッキーであることは、間違いない。
かといって、ホテルのラウンジで流れているような「私は決して、邪魔しません。ただただ流れているだけなんで、気にしないでくださいね」と主張をいっさい排除した音楽とも違う。穏やかなエモーションが、静かに優しく、わたしを刺激する。
ふと思いついて、仕事帰りの車の中でこのアルバムの音量を上げると、周りの景色が一変した。新橋の交差点でちょうど信号が赤に変わった。昼休み時で、目の前の横断歩道をサラリーマンやOLさんがゆく。その姿が、音に乗ってスローモーションになり、マンハッタンにいるような錯覚をおこしたのだ。
これは面白い、と、離乳食を作るキッチンでも試してみた。陰陰滅滅たる気分だったのが、おやまぁ、なんということでしょう、まるで料理番組に出演中の離乳食専門家?のようにナイフさばきも軽やかに、そこにいることが、なんの苦でもなくなったのだ。音楽の力って、無限だな。
余談だが、そんな話をトーク番組でしたら、たくさん問い合わせがあり、絶版だったCDが再発され、その週のジャズチャートで1位を飾り、ヘウォンは「Moon」という名で、日本でCDデビューも果たしてしまった。そんなことってあるんだね。
彼女の歌声が、どこかで、誰かの、疲れ切った育児や仕事の日常を、軽やかに美しく輝かせる一助となっているんだとしたら、こんなに嬉しいことはない。
それから、きっとそんな役割を果たしてくれるCDは、他にもあるに違いない、と自分のCD棚から1枚1枚、丹念に検証していった。どんなにロックが好きでも、心がざわつきすぎる。日本語の歌詞は、意味を持ちすぎる。ゴリゴリのジャズでは、深みに入りすぎる。で、選んだ5枚ほどのCDは、どれもライトなポップスに近いジャズだった。
それらをキッチンに常備し、料理だけではなく、すべての回避したい雑務をここに持ち込むようになった。
ビル・エヴァンスの「ポートレイト イン ジャズ」で、湯を沸かし、チェット・ベイカーの「マイ フェイバリット ソングス」で、領収書を整理(なんか、チェット・ベイカーに申し訳ないけど……)、畠山美由紀の「サマー クラウズ サマー レイン」で、洗濯物をたたみ(ごめんね、美由紀ちゃん)、合間にマイケル・ブーブレの「イッツ タイム」で、幼い息子とダンスを踊る。
そんな風にして、私はあなたを育てたんだよ。
いつかの夢は、息子と音楽を、夜通し、語らうことである。
その時は、やっぱり、キッチンでジャズを聴きながら、かな?