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「主人からきたLINE」が決め手だった。ドイツ駐在についていくか、日本でキャリアを積むべきか。【初めて尽くしのドイツ生活】

2019.06.07

この連載は、

ひょんなことから、25歳にドイツで駐在妻となったゆとり世代の筆者が初めての結婚生活・妊娠・出産・子育てを、初めての海外生活で、泥臭く奮闘した「初めて尽くしのドイツ生活」を記した体験談。

リアルなドイツ生活や子育てについてはもちろんのこと、「優雅」と言われがちな駐在という立場にいる苦悩や、外から見た日本の「本当にこれでいいの?」と感じる疑問や違和感を綴ります!

子どもだけじゃない、自分のキャリアやライフスタイルを見る視野が1度でも広がり、1mmでも深まるきっかけになれば幸いです。


「いつか海外で働きたい」
と、夢を語る主人と、
「その夢が叶うといいね」
と、応援しつつもどこか他人事だったわたし。

まさか、本当に現実になるなんて夢にも思いませんでした。

【キャリア?仕事?ゆとり世代でも悩みます】

ドイツ生活

私たち世代が子供の頃は、共働き家庭が徐々に増え、大学受験ではAO入試や推薦で入学する人が全体の半数を占めるようになりました。「大学で何を学び、将来に繋げたいか」と受験期に考え、大学卒業後に待ち受ける就活では、人生プランを含めた「キャリア」を検討する人も多かったんじゃないでしょうか。

わたしはまさに「キャリアありきの人生」ばかりを考えていました。

当時、入社して1年目のわたしは、忙殺される毎日を送り、活躍する同期を見ては焦り、劣等感を感じていました。それでも、今あるところで踏ん張り、道が拓けることを信じていた頃、婚約者(のちの主人)からドイツ駐在の内々示を打ち明けられます。(前日のLINEがそっけなかった気が…)

「キャリアを考える。」とは言いつつ、所詮社会人1年目が描いた幼い青写真。婚約者が突如、国外に駐在する場合を全く検討していませんでした。

予想通り、問題にぶち当たります。
それは自分で決めることの恐怖と不安。

頭の中にはたくさんの議題が持ち上がりました。

・ついていくのか、別居婚なのか
・仕事はやめるのか、やめないのか
・ついていった場合、どんな生活が待っているのか
・いつ日本へ帰ってこれるのか、その後のキャリアはどうするのか
・子どもはつくるのか、その場合、再就職はできるのか…etc

わたしは、混乱しました。
会社では「いかに20代のうちにたくさん経験を積んで、30代を迎えるか」という教えを受けていました。しかし、帰国の目処も立っておらず、日本に帰る頃には30歳を超えているかもしれない。まだ何も会社で成し遂げた経験をしていなかったわたしは、キャリアに数年の空白ができることの不安や恐怖を持ち始めました。その間にも、同期はそれぞれ仕事をこなして、先に進み、わたしは置いていかれるのではないか。日本に帰ってきたときに、社会にわたしの居場所はないんじゃないかと。

それでも、決めなければなりません。
中学、高校、大学、就職。
自分で選択して生きてきたつもりでいましたが、案内標識のある高速道路を走っているに過ぎなかったことに気づきました。

そして、周囲の人に駐在の話をすると
「ついていくの?」と必ず聞かれました。
結婚するんですから、当然の質問でしょう。
なんにも他意のない質問にさえも、勝手に追い込まれてました。

羨ましい。わたしも駐在妻になりたい。
と言われた時は、頭が真っ白になったのを覚えています。

しかし、答えが出ないまま、
主人は先にドイツへ。

一部始終を知り、理解していた主人は言いました。

「ゆっくり考えたらいいよ」と。

【主人からきたLINE】

ドイツ生活_メール

そして、半年が経った頃、
主人からLINEが入りました。

「しんどい」

悪い予感がしたわたしは、電話をすると、
疲れ切った声で主人が言いました。

「ひとりで踏ん張れない」
「こっちにきて欲しい」

単身で海外に渡り、慣れない英語でのメールや電話、商談・展示会や会議を行い、文化の違うドイツ人の上司との仕事。夢を叶えても、現実は大変なことばかりだったようでした。
いずれ詳しく書きますが、異文化に触れることは思った以上にストレスになります。

普段、弱音を吐かない人の弱音を聞き、
わたしの悩みを理解した上で、それでも「きて欲しい」と伝えてきた主人を見て、

「わかった、そっちにいく」
と、即座に答えていました。

「主人を潰れさせてはいけない。」
唯一、当時のわたしが出せた答えでした。

主人を支えるだとか、内助の功だとか
そんな言葉はいらなくて、ドイツへ行かずに潰れてしまった主人をわたしが見たくないと思っただけなのかもしれません。

仕事だ、キャリアだと言っていたわたしが、そんな風に思えた理由を、合理的な経緯を、今も説明できません。
でも、数年経ってわかるのは、「自己実現=仕事」という考え方が自分を苦しめ、迷わせていたのだと思うのです。

何もわたしの悩みは解決していません。
不安も恐怖も全く解消されていません。

高速道路をおり、知らない一般道路にいくような感覚で、この問いはわたしの宿題に。これを抱えたまま荷物をまとめ、スーツケースを転がし、成田からドイツへ飛び立ちました。

そして3ヶ月後、わたしはドイツの病院で点滴を打っているだなんて、思いもせず…

いよいよドイツ生活がはじまりました。

次回に続きます。

河井あやね

Hanako 新米ライター。国際色豊かな大学を卒業するも、在学中は留学せず、そのあと広告代理店に勤務。
25歳でドイツ駐在生活をスタートし、20代後半を国外で過ごす。本帰国後、ドイツと日本のギャップを感じつつ、それさえも楽しもう。をモットーに天真爛漫系2歳児(娘)を育児中。



第1回 25歳、新米駐在妻。陸の孤島で感じた孤独感

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